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スティーブン(Stephen, 1096年頃 - 1154年10月25日)は、ブロワ朝唯一のイングランド王(在位:1135年 - 1154年)。その治世は内戦が収まらず、無政府時代(The Anarchy)と呼ばれた。 == 生涯 == === 即位前 === フランス貴族であるブロワ伯エティエンヌ2世と、イングランド王ウィリアム1世(征服王)の娘アデルの間の息子の一人として生まれた。フランスでの名前はエティエンヌ・ド・ブロワ(Étienne de Blois)である。1125年、ブローニュ伯ウスタシュ3世の娘マティルド(英名マティルダ)と結婚し、ブローニュ伯位を継承した。ブロワ伯は兄ティボー4世(シャンパーニュ伯としてはティボー2世)が継承している。 母方の叔父であるイングランド王ヘンリー1世(ウィリアム1世の子)は、一人息子ウィリアムを1119年に失い、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に嫁いでいたマティルダ(モードは愛称)が唯一の嫡出子となった。そのため、夫と死別したマティルダを1125年に呼び戻して王位継承者とし、1128年にはノルマンディーに隣接するアンジュー伯フルク5世の息子ジョフロワ4世と結婚させていた。 ところがヘンリー1世が1135年に死ぬと、スティーブンはヘンリー1世の生前の取り決めや先王の臣下たちの意向にもかかわらず、強引に家臣を率いて所領のフランスからロンドンに入ると、ロンドン市民と自らの弟・ウィンチェスター司教ヘンリーにカンタベリー大司教を説得させ、彼らの推戴を受けてイングランド王に即位した(王の宝物庫の管理はウィンチェスター司教が行っていたので、対マティルダ戦の軍資金には事欠かなかった)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーブン (イングランド王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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